89年皐月賞馬ドクタースパート死すマル地の皐月賞馬、逝く…。
89年に皐月賞を制したドクタースパートが28日13時、日本軽種馬協会静内種馬場で亡くなった。25歳。老衰と見られる。8月下旬から体調を崩し、治療を受けていたそうだ。
「マル地」というのは地方競馬出身で中央競馬に移籍した競走馬の事。ドクタースパートは北海道3歳優駿を制した勢いで中央競馬に挑戦。皐月賞は後の日本ダービー[東京優駿]を制したウィナーズサークルを競り落としてのものであり価値は決して低くは無い。
同馬の父ホスピタリティも地方出身の名馬で、ジャパンカップの前哨戦だったオープン戦[当時は名無しレース]でフロストキング[その後ジャパンカップで2着のカナダ馬]に競り負けるまで日本馬に先着を許さなかった件は語り草になっている。
このようにハイセイコー一族に続く地方競馬中興を担った血統だが、ドクタースパートは目立った産駒を生み出す事ができなかった。この馬が種牡馬になる頃にはすっかり「渋い種馬」に良い繁殖牝馬が集まらなくなってしまっていたのは不運であった。
サラブレッド界に於ける「種の多様性を奪う」懸念を象徴するような馬を失ったのかもしれない。昨今、種(牡馬)の多様性は、ますます失われ選択肢が狭くなっている。競走馬の将来は一体どうなってしまうのだろうか?とさえ思う。
昭和の渋い「時代の象徴」を失うのは本当に寂しい思いだ。
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